千石イエス(千石剛賢)の経歴や嫁と子供の現在は?宗教団体の教祖がおっちゃん?

    千石イエスは1980年頃日本中で話題となった「イエスの方舟事件」の宗教団体「イエスの方舟」の主催者。本名は、千石剛賢(せんごく たけよし)さんというそうですが、一体どんな人物なのか気になります。TBS系の「爆報!THE フライデー」でも特集されて話題になっていますね。そこで今回は「イエスの方舟事件」の千石イエス(千石剛賢)についてまとめてみました。

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    千石イエスのプロフィールや経歴は?

    宗教団体の主催者のプロフィールなんて見つかるのかなと疑問に思ったのですが、ちゃんとありました。

    まずは、千石イエスのプロフィールから見てみましょう。

    千石イエス(せんごく いえす)
    本名:千石剛賢(せんごく たけよし)
    愛称:おっちゃん
    生年月日:1923年7月12日(2001年12月11日に亡くなっています)
    出身地:兵庫県加西市
    参考:http://www.asahi.com/

    千石イエスの本名は、千石剛賢。

    千石イエスというのは、本人が名乗っていたわけではなく、連日「イエスの方舟事件」の報道がされていた時にマスコミがつけた呼び名だそうです。

    千石剛賢さん(せんごく たけよし)は、1923年に兵庫県加西市の裕福な農家に生まれました。

    実家は農家でしたが、20歳の時に海軍に入隊。

    数年後に終戦となり刃物工場の経営を始めたそうです。

    戦後間もない当時は、鉄が不足していて、最初は簡単に儲かりましたが成功は長続きしませんでした?

    しかし、一気に成功してしまい傲慢になったせいで千石剛賢さんは刃物工場は倒産してしまい、一人で神戸に向かったそうです。

    そして、露天や行商をしたりレストランの支配人をするなど様々な仕事をしていました。

    若い頃は、とにかく短気ですぐに喧嘩を始めてしまうような性格だったそうですが、そんな自分の性格を直したいと思っている時にたまたま通りかかったた教会に入って、キリスト教を知ったそうです。

    千石剛賢さんは、ちょうど同じ時期にお姉さんが通っていた「生長の家」の集会にも行っていたそうです。

    宗教に触れることで自分の短気な性格が少しずつ改善していった千石剛賢さんは、キリスト教と生長の家を合わせたような宗教を作ることを思いつきます。

    そして、神戸から博多に移り、施設を借りて自分の考えた宗教を広めるとあっという間に人が集まりはじめました。

    どんな、教えを説いていたのかというと、今で言う自己開発セミナーのようなもので、人の気持ちに逆らわないように、人が喜ぶようなことばかり話していたそうです。

    そんな千石剛賢さんの教えに惹かれてどんどん信者が増えていき、気づいたら300人以上も大所帯になっていたそうです。

    しかし、信者が急激に増えてことで千石剛賢さんは怖くなってしまい、信者を九州に置いたまま大阪に逃げたそうです。

    大阪に逃げてきた千石剛賢さんは、堺市内で見つけた聖書研究会に通うようになったそうです。

    この聖書研究会は、京都市に本部があり元禅宗関係者でもあった村岡太三郎さんという人が主宰していました。

    千石剛賢さんは、この聖書研究会では、主宰者の村岡太三郎さんと意見が対立するようになりました。

    そして、1960年頃に今度は東京に移り、「極東キリスト教会」を設立しました。

    この時、千石剛賢さんと一緒に聖書研究会で知り合った2つの家族が大阪から東京に移ったそうです。

    最初は国立でテントでの共同生活を始め、その後国分寺市に移るなど滞在場所を転々としていき、1975年頃会の名称を「イエスの方舟」と改めました。

    この頃から、家に自分の居場所がないと感じていた複数の女性が次々と家庭を捨てて「イエスの方舟」で共同生活をおくるようになったそうです。

    「イエスの方舟」で共同生活を送る人が増えてきたころに、女性の家族が捜索願を出したりマスコミでも取り上げられたりして、「イエスの方舟事件」として一気に日本中で知られるようになりました。

    最終的に、千石剛賢さんに名誉毀損や暴力行為などの容疑で逮捕状が出て千石剛賢さんが出頭。

    警察の取り調べに協力した千石剛賢さんに容疑の事実が確認できなかったとして不起訴処分となりました。

    この事件が取り上げられた際、マスコミは千石剛賢さんを「千石イエス」と呼んで、「千石イエス」が若い娘を集めてハーレムを形成しているといった報道をしていきました。

    こういった報道によって、世間では、「イエスの方舟」を新興カルト教団で「千石イエス」はその新興宗教の教祖であるという風に捉えられていきまいた。

    しかし、実際は、「イエスの方舟」は家庭に居場所がなかった女性の拠り所になっていて、「千石イエス」とマスコミに呼ばれていた千石剛賢さんは、共同生活をおくる人たちからは「オッチャン」と呼ばれて慕われていたことが共同生活をしていた女性たちの証言から分かってきます。

    マスコミの報道も落ち着いた頃に、千石剛賢さんは博多の中洲に「シオンの娘」というクラブを始めます。

    一度家族のもとに戻った女性が「オッチャン」である千石剛賢さんのもとに戻ってきたり、新たに訪ねてきた女性などもいて、東京で共同生活をしていたときよりも人数は増えていたそうです。

    そして、千石剛賢さんは2001年12月11日に、78歳という年齢で福岡市の病院で亡くなりました。

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    千石剛賢さんの嫁と子供の現在は?

    千石剛賢(せんごく たけよし)さんは、2回結婚していて、離婚した一人目の奥さんとの間に長女と次女がいて、再婚相手のまさ子さんとの間に恵さんという3女がいるそうです。

    再婚相手のまさ子さんとは、形式的に離婚して長い間共同生活をしている女性の娘たちを養女に入れたり、雄太さんという養子もいるようで、家族関係はちょっと複雑です。

    千石イエス(千石剛賢)の家族

    出典:http://www.asahi.com/

    千石剛賢さんが亡くなったあとは、まさ子さんが「イエスの方舟」の代表者になって、3女の恵さんと、養子の雄太さんが副代表を努めているそうです。

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