
藤本健二さんは金正日(キム・ジョンイル)総書記の専属料理人を務めていましたが、2016年にラーメン屋をオープンすると言って北朝鮮に渡ってから消息が途絶え一時行方不明と言われていましたが、現在は平壌で日本料理店をオープンしていると報道されました。そこで、今回は金正日の専属料理人を務めていたという藤本健二さんについてまとめてみました。
藤本健二さんのプロフィール
北朝鮮は未だに謎の多い国ですが、金正日の専属料理人を務めていたという藤本健二さんは、ある意味北朝鮮内部を一番よく知る日本人と言えるかもしれません。
藤本健二さんは一体何者なのか気になります。
それではまずは、藤本健二さんのプロフィールから見ていきましょう。
藤本健二(ふじもとけんじ)
朝鮮名:朴哲(パク・チョル)
生年月日:1974年?月?日
年齢:42歳か43歳
身長:162cm
張り切って藤本健二さんのプロフィールを調べてみたのですが、あまり詳しい情報は公表されていないようです。
しかも、藤本健二という名前も本名ではなくペンネームなんだそうです。
藤本健二さんは、北朝鮮で1989年に歌手の厳正女(オム・ジョンニョ)さんと結婚していて、子供も2人いましたが長男は心臓発作で亡くなっているそうです。
藤本健二さんは、日本のテレビに出ていた時期もありましたが、常にバンダナとサングラスを付けていましたが、日本滞在中も北朝鮮のスパイから身を守るために素顔を公表しなようにしていたそうです。
金正日の専属料理人を務めていた藤本健二さんは、北朝鮮の内部事情を熟知していたと考えられていて北朝鮮の国外にいるときも常に監視されていたとも言われています。
藤本健二さんの正体は?
本名が分からないなど謎の多い藤本健二さん。
一体何者なのでしょうか?
正体が気になりますね〜
藤本健二さんは、1982年に板橋調理師会事務所の会長に依頼されて北朝鮮に移り、平壌の寿司屋で働いていたそうです。
いくら、会長に頼まれたとはいえ、なぜそもそも北朝鮮に渡ろうと思ったのでしょうか・・・?
最初は寿司屋さんで働いていた藤本健二さんでしたが、1989年ごろに金正日と知り合う機会がありその後金正日の専属料理人として仕えるようになったそうです。
なぜ、金正日が外国人で朝鮮語も話せない藤本健二さんを専属料理人として迎え入れたのでしょう?
日本人なのでスパイなのではと疑ったりはしなかったのでしょうか?
藤本健二さんは、自身の北朝鮮での経験をまとめた複数の本を日本で出版していますが、その藤本健二さんの本の解説を担当した菊池嘉晃さんによると、朝鮮語が話せない外国人だったからこそ金正日が専属料理人として採用したのではないかと。
もし、藤本健二さんが流暢な朝鮮語を話していたら逆にスパイなのではと疑われて専属料理人どころか金正日に近づくことさえできなかったのではと考えられているそうです。
藤本健二さんは、日本にも食料品の買い出しで日本に来ていましたが、1996年に入国管理法で捕まり、釈放されてからしばらく沖縄にいたことがあったそうです。
もしかするとこの事がきっかけで北朝鮮から怪しまれるようになったのかもしれません。
というのも、1998年に食料品の買い出しのため平壌から北京に行った時に、日本の警視庁関係者に電話したことを北朝鮮に盗聴されてしまい、日本の警察庁とコンタクトを取っていたことで、1年半にも及ぶ長期間平壌の自宅で軟禁されてしまいます。
この軟禁状態の期間中は、いつ強制収容所に入れられるか分からないという恐怖が常にあり、その結果、藤本健二さんは家族を北朝鮮に残して、2001年に北朝鮮を抜け出し日本に帰国しました。
ちなみに、藤本健二さんが北朝鮮から抜け出したことで、平壌に残った家族は炭鉱に2年間送られるという処罰がくだされたそうです。
北朝鮮という国では、日本では考えられないようなことが今でも普通に行われている事がよく分かります・・・。
藤本健二さんは現在は
藤本健二さんは、2016年に「金正恩委員長にうまいラーメンを食べてもらいたい」と思いつき、北京経由で北朝鮮に渡ったそうですが、その後消息が途絶えて、行方不明になっていました。
しかし、最近になって藤本健二さんが平壌で日本食料理店を始めたと報道されたので現在は本当に平壌に渡って日本食料理店を営んでいるそうです。
そのお店の名前が「たかはし」ということで、藤本健二さんの本名が高橋なのではという噂もあるようです。
先日、金正男(キム・ジョンナム)がマレーシアで暗殺されたこともあり、消息が途絶えて行方不明になっていた藤本健二さんの身にも危険が及んでいるのではと心配されていたので、現在は平壌で日本食料理店をオープンしているということが分かってよかったですね。